現存する学問からは得られない「感性」を学ぶ
A book of learning, a place of learning that continues to bring about miracles in life.
「人生に奇跡を起こし続ける学びの場、学びの書」
───
こうした知識人たちの「なぜ?」に応えるかのように、
こうした久瑠式トレーニングを体系化させた『マインドの法則 実践ワーク』では、
先生が実際に塾や講座で実施してきているワークについて紹介しています。
『人生が劇的に変わるマインドの法則』を起点として、
様々な信じられないような奇跡が現実に起きています。
さらには《マインドの法則》を実践で教えてしまうという、
感性という形のない領域のことを見事に体系化されました。
何よりの証なのは、何もないところから前述の数々の講座やワークが次々と生まれ、
多くの人たちにとって潜在意識を体感できる学びの場、学びの書があり、
学んだ人たちがそれぞれの環境で活かしていく。
すべては、先生の想定外の地球的視点、
つまり[マインド・ビューポイント]、[want]、[イマジネーション]という
《マインドの法則》により現実になった。
それが多くの人の人生に奇跡を起こし続けていると確信しています。
そして何よりこの《マインドの法則》は、
先生の人生をも劇的に変化させたという真実を、ここに記しておきたいと思うのです。
「久瑠式メソッドは理論的にも確立されたアートといえる」
The Kurushiki Method can be said to be a theoretically established art.
───
ある行政関係の仕事に携わっていた大学教授が
久瑠先生を訪ねてみえたときのことです。
この方は、古典から哲学書など数千冊の本を読まれていて、
ヨーロッパ、アメリカの大学院等でも勉強ばかりの日々を過ごしてきました。
『人生が劇的に変わるマインドの法則』と『マインドの法則 実践ワーク』を
日本に戻られたときに偶然、書店で手に取り読まれ、
「感性について書かれた本はいろいろあるけれど、
感性で感性のことが書かれた本には出逢ったことがなかった。
どういうことかというと、モーツアルトはモーツアルトの本は書けない、
アーティストはアートで表現することを論ずることはない。
久瑠あさ美という人がやっている世界はアート、
それをこの人は本の中でやってのけている、そしてそれらを本当に実践している、
信じられない……」
そのように感じられて、
「この本は自分が求めていた世界へ連れて行ってくれる。
様々なことを世界中で学んできたけれど、求めてきたものが《マインドの法則》にあった。
それは想定外に崇高な世界観で、私はこのようなことを、365日継続的に考えたことがない。
しかし、久瑠あさ美という人は、日常次元でそれをやっているというのが凄い。
これを学び、体得されている塾生が、その世界をまた誰かに教えられているというのも、
なんとも信じがたい。」
そうおっしゃってしばらくの間、塾にも参加され自ら学ばれていました。

「感性を学べる場はここにしかない」
This is the only place where you can learn about sensitivity.
「この実践本はこの通りにやれば、ちゃんと本当にできるように書いてある。
私が今まで学んできたことを一つ上の次元に引き上げてくれる。
どんどん読んでいくと、感性を磨くのは簡単なことではない。
実はそれはとてもハードなことで、一行、一行全部が凄く濃密で、
でも全部が一つになっていくような感じで、読み手の手をずっとつないでくれている。
全部理解なんてできっこないのが潜在意識、
だからこそ真摯に向き合ってくれているのだと、
非常にあたたかな体感さえ起こる。
それが活字の世界で起こる、そこが凄い……。
だから、第三章まではなんとかついていって、
まるでトレーニングを受けているみたい(笑)。
第四章でいつもの自分をたぶん超えていて、必死になりながらも、
二人三脚だから気づくと楽になっている……。
第五章においては非日常体験で倒れそうなくらい。
ゴール間近で微笑んで待っていてくれる、そんなイメージ(笑)。
今までで、こんなに夢中になって読み解いた本はなかった……
こういった領域について、私にはそれを論理的にしか書けない。
感性からおろしてこのようには表現できない……
このような本を日本の書店の書棚で見つけられたこと、
出逢えたことが奇跡だと思った……」
何年間もかけて世界のトップクラスの場で学ばれても、
自分を奮い立たせるほどの感性を学べなかった
「久瑠あさ美の感性の領域」を体感トレーニングで学べることの価値は、一般的な勉学では決して教わることはできない
The value of learning “Asami Kurumi’s realm of sensibility” through experiential training cannot be taught through general study.
───
論理的には理解できても身につけることの難しさを知っている方が、
しばらくの期間、集中的に先生の元で、その感性を磨かれていった、その希少性にすら、
僕らはすべてを感じとれていないのだと思うのです。
ただ当時の僕にとっては、こうした世界を股にかけて勉学に勤しんだ
学者、博士、学位ある人間をそこまで唸らせたということに、
改めて《マインドの法則》の凄さを再認識した出来事の一つとなりました。
もっともそれを言われている先生というのは、
これまた本当に「素」で、その方が見いだした世界観には共感はするのでしょうが、
先生からすると、何を凄いと言ってくれているのか実のところわからない。
それは先生にとっては普通のことだったからです。
ただ、その人の言葉から、先生のやられていることが、世界を知る見識者たちが、
さらにその上をいくレベルのものだと、熱くなっているのを間近で聞けたことで、
僕らは改めてそんな凄いものを、我々はこの先生から、
直に学ぶことができているのだということに、
その真価を目の当たりにして感じていました。
そして、理論ではなく、体感トレーニングによって実践を極めていくということが、
どれほど重要であったとしても、それを教えられている人というのは、
世界にはほとんどいない、ということも同時に知ったのです。
樹齢千年の大木を
あなたは目にしたことがありますか。
数年前、旅の途中で訪れた地で、
私はその大木を目にしました。
地面に巻き込むように根を張らし、
大空に向かって
そびえ立つ大木を前にして、
私はその圧倒的な存在感に衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えています。
その大木はただ「生」を全うし、
大自然の中で今もなお自然体で
生きている。
語りきれない年輪を超えて、
生き抜くことをひたすらに
体現していました。
そして地を這うその根は見るものの想像をはるかに超えるスケールで、
その大木を千年もの長い間
支えてきたのです。
陽が当たろうと当たるまいと、
雨が降ろうと風が吹こうと、
常に明日への希望を失わない。
「何があっても平常心、
在りのままに生きていく」
その在り様が、
その大木の生き様そのものでした。
私はそこに「生命」のダイナミズムを
強烈に感じました。
樹齢千年という歳月を生きながら、
その大木は「過去」から流れてきた時間
ではなく、
「未来」から流れてくる
「今」この瞬間を生きている。
そこには「覚悟」がありました。
「生きるということ」、
それを全うするということ。

大自然から本質的な“在り方”を悟る境地
日常次元を遥かに超えた悟りの境地
A state where you can realize the essential “way of being” from nature
A state of enlightenment far beyond everyday life
「覚悟は決めるものではない、自ずとそれは決まるものだ」
これは久瑠あさ美の言葉です。
また、「悟りとは覚悟の『悟』と書きます」
そう教わったことを思い出しました。
先生という人は、千年という気の遠くなるほどの大木と向き合うことで、
とんでもない何かに気づいてしまう。
多くの場合、そんなもの眺めても賞賛し拝むことくらいで、自分の無意識で、
その瞬間につながっていくということは出来ません。
僕らの何気ない日常次元においては、こうした大木のような自分を
ゆうに超える存在を受け止めきれない。
単に頭で考えても到底つながることの出来ない存在であり、
ましてや先生のように自分の人生を重ね合わせ、
その在り方の本質的な何かと共鳴、共感などということは、
通常の思考や想像では追いつかない境地なのかもしれません。

心の階層というフィルターを通して感じてみることで、
人間を超えるもう一つ上の領域、それが先生の言われる、
自我(自意識)の抜けた、真の自己超越という階層
(禅的な言い方で言えば「空」)に行き着くのでしょう。
先生はまさにその大木と向き合う瞬間に、そこにただ存在する
何千年も生き抜いてきた「生」という尊い何かに、
潜在的なビジョンを共有されたのだと思います。
こうした人間を超えた自然界の高次の視点を持たれていることが、
自然の在り方そのものを享受することへと結びつき、
その自然と共に生きていくことの喜びを創りだし、
それを与えていく存在になっていくということ。
すべてのモノと「人」との関係の「間」、
そこに「人間」が存在する意味を伝え、
こうなれるということをこうして私たち塾生に見せてくれているのです。
たとえ自分をとりまく世界が、
ある日ガラリと変わっても、
潜在能力を引きだしながら
自らのチカラで生きていく。
そのチカラを私たち人間も
ちゃんと持っている。
そして、これから自分が何をしたいのか、どこに向かっているのか―
「未来のビジョン」が
一気に溢れだしてきました
大木のような在り方、存在、
それこそが「愛」そのものなのだと
感じられました。
人間力の源泉もまた、「愛」です。
自分への愛が内側から溢れだしたとき、
自らをとりまく世界へと
愛がつながっていく。
そのことを深く体感できる時間。
そして、じっくり自分の内側を
掘り起こす場を創りだしたい。